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東日本大震災から4年が経過して

 

東日本大震災から4年が経過して

 

 

 大きく長い揺れ、直ぐに起きた大規模停電及び信号のマヒによる大渋滞、高速道路は通行止めになり、一般道路も至るところに陥没や亀裂が走りました。その後しばらく続いた不自由な生活、そして何より10,000人を優に超える犠牲者が出た東日本大震災が発生してから、4年経過します。毎年3月初旬に陸前高田に訪問しておりますが、今年も行ってきましたので、現地の様子を報告致します。

 

 東北道の一関ICで下り、陸前高田方面に向かいました。約50kmなので、1時間で到着します。左に行けば大船渡、右に行けば陸前高田に向かう交差点(以下交差点)に差し掛かり、車を降りて気になるところを見てきました。

 元々は鉄橋が掛かっており、陸前高田から内陸(一関方面)に向かう線路用のものです。震災直後(2か月後)は、線路が橋脚から引きちぎられた状態で飛び出しており、津波の威力をまざまざと見せつけられた個所ですが、1年後に訪れた時は線路は撤去され、橋脚だけが残されていました。その後は、現在に至る迄変化が無く、今でも橋脚だけが取り残された状態です。沿岸部を走る三陸鉄道は、なにかとテレビでも取り上げられますが、本線は置き去りになっている様にも感じます。詳細を知る由はありませんが、途中の線路にはロープが貼られていたので、当分の間再開は無いものと思われます。

 

 その後、陸前高田方面に向かうと大分復興が進んでいる事を実感出来ました。震災直後は、生活感を感じるものが殆どありませんでしたが、1年後には仮設の店舗が何店か出来ており、2年後は更に増え常設の建物も目立ち始め、3年後は更に増えていました。今回は、更に市街地から離れる方向に店が増えており、復興だけではなく、新たな開発も進んでいる事を感じました。それに先程、復旧が置き去りになっているのかと思った、鉄道が形を変えて復活しているのも確認出来ました。

 

 BRT(bus rapid transit)に形を変えて新たな駅(バス停)も完成しており、線路があったであろう場所は綺麗に舗装されていました。既に運行もされているのでしょう。沿岸部の路線も線路を再建するか、BRTにするかで論争があるやに報道もされており、地元住民の方々の胸中は計り知れませんが、復興のスピードはBRTの方が遙かに早いと聞いていますので、致し方無いのではないかと思います。駅(バス停)が出来た事で、周辺に新たに店舗も増え、結果的には地域に受け入れられているものと思われます。

 

 もうしばらく進むと、自分自身勝手に定点観測のポイントとしていた、ローソンが見えてきました。2年目に常設の店舗になっているので、今後当分の間は変わる事は無いと思いますので、定点観測のポイントは今年限りにしようと思います。

 昨年に続き買い物をして、レジの横の募金箱に募金をしてきました。因みに、交差点からここに至る迄は、昨年迄はこのローソン以外にはコンビニがありませんでしたが、今年は交差点を曲がった直後にセブンイレブンがあり、別のローソンもあり、100円均一の店も出来ておりました。

 

 そのまましばらく行くと、小高い山を越えて沿岸部に出る事が出来ます。交差点から、この小高い山の手前は海岸部よりは標高も高いので、被害は無いものと想像されるかもしれませんが、川に沿って津波が遡上してきた為に被害を受けておりました。只、川に沿った部分的な被害だったので、沿岸部に比べても復旧、復興のスピードは格段に速かったものと思われます。今となっては初めて訪れる人には、津波被害があった事が判らないのではないかと思うくらいの、復興がなされていました。

 

 小高い山を越えて、沿岸部に差し掛かると、大きな平地が広がり陸前高田市の主要な施設や多くの住居が軒を連ねていた地域です。小高い山を超えて、平地に向いたところが定点観測のポイントです。

 

 震災直後は、米軍の『トモダチ作戦』で道路の瓦礫撤去が最優先されていたので、道路を進む事が出来ましたが、瓦礫は道路沿いに山積み状態でした。1年後は瓦礫は減っておりましたが、未だ残されておりました。2年後は瓦礫は撤去されていましたが、その後(3年後)の光景は殆ど変わりありませんでした。この一帯の復興がどうなっているかが、気になり毎回どきどきしながら小高い山を越えておりました。今回も期待半分、不安半分で超えたところ、喜びと失望を同時に感じてしまいました。喜びとは、以下の様な変化を確認出来たからです。今回は、嵩上げされた造成地が至るところに出来ており、いよいよ本格的に復興が進み始めた事を実感出来ました。失望とは、喜びと裏腹なのですが、造成中とは言え未だに建物らしきものは着工すらされておらず、このままのペースで進んだら元の街並みに戻るのに何年掛かるか不安になった事です。

 人間の営みは中断する事は出来ませんので、陸前高田を離れて暮らさざるを得ない方々が沢山居るはずです。既に4年、今後まだ数年掛かって街並みが復活しても、或いは新たに開発されても、全ての元の住民が戻って来る事が出来るのでしょうか?現在生活している環境に慣れる事もあるでしょうし、理屈抜きでそこ(陸前高田以外)での生活が長くなればなる程、離れられなくなる事も増えるでしょう。とにかく、一刻も早い完全復興が成される事を切に希望しています。 

 

 以前は、県立高田病院の跡地迄近づく事が出来ましたが、今は平地一帯が造成中という事もあり、殆どの地域が立ち入り禁止になっていました。見渡す限り平らな部分は造成されており、殆ど海抜から10m以上の高さになっているのではないでしょうか?

定点ポイントにしていた道の駅の建物は、昨年迄はかなり遠くから写真を撮る事で出来ていましたが、今年は造成地が丘の様になっており、いつもの場所では撮れませんでした。かなり近寄り、造成地の右肩の上の方にかすかに建物の屋根が見えます。

 因みに、この道の駅は私も担当している頃には良く利用しておりました。松林が目の前に広がり、景色も良かったので観光客も多い所でした。地震当日は金曜でもあり、観光客も多かったのではないかと想像します。私自身、金曜日は盛岡からの帰り道に、沿岸部(大船渡・陸前高田)に寄る事が多かったので、場合によっては巻き込まれていたかも知れないと、ふと思い出す事もあります。仮に巻き込まれていたら、果たして冷静な行動が取れたかかどうかは、疑問の残るところです。

 

 昨年は沿岸部と高台を結ぶベルトコンベアー1本しかなかったのですが、今年は平地の至るところに出来ておりました。平地に無数に造成地を作り上げ、その殆ど(多分全部)が10m以上嵩上げされております。相当量の土砂を運びこんでいるものと思われますが、あれを全てダンプカーで運ぶよりも、最初にしっかりとしたベルトコンベアーを建設する事により、却って効率も上がり、工期も短くなるものと思われます。去年迄は、1年毎に他県ナンバーのトラックやダンプカーが増えていましたが、今年はめっきり減っています。このベルトコンベアーの威力だと思われます。思えば、現在の東京の原型が関東大震災後の都市計画にありますが、災害の度に新たな土木工法、建築工法が飛躍的に発展し、町作りに活かされてきた事でしょう。只、やはり多くの方々の犠牲があっての事は忘れてはならない事です。

 

 

 奇跡の一本松に行ってみました。それ自身は昨年と変わりなく、今後も変わらないものと思われますが、いくつか感じるところがありました。まず、背後にある建物が未だ震災当時のまま残されており、哀れな姿をさらけ出しています。復興が進みつつありますが、未だ復旧の目処が立っていない部分も多くあります。定点観測ポイントの道の駅も建物は残されていますが、全く機能しておりませんので、取り壊されるのは明らかですが、何時になったら撤去されるのでしょうか。奇跡の一本松は復興の象徴であると同時に、数少ない観光資源にもなっております。

 

 

 昨年は、プレハブのお土産屋さんが1件のみでしたが、広い駐車場が整備され、常設のお土産屋さん、複数の食堂、情報発信館等が出来ておりました。商魂逞しいと思いますが、ゆとりが出来てきた証拠ですし、正にシンボルとなり観光客を呼び込む事で、復興が加速される事でしょう。余談ですが、駐車場に整備されていたトイレが、水と電気を使わないとの事で、最先端の設備なっていました。

 もう一つ、『奇跡の一本松支援自動販売機』なるものも設置されておりましたので、当然1本購入しました、因みに私が購入するのは、『紅茶花伝』『ロイヤルミルクティー』の何れかです。

 

 

 気になる個所があり、見てきました。国道沿いにある5階建て建物です。3年目の昨年には、手付かずで取り残されており、取り残されている事自体が、私にとって気になる事であり、まだまだ復旧も途上だと思わざるを得ない存在でした。今年はどうかと気になりながら車を走らせると、何も無い場所ですから、かなり遠い場所から取り残されているのが見えました。先の道の駅同様、撤去もされず取り残されている訳です。優先順位は知る由もありませんが、使われなくなった建物が撤去されない事には、完全復興には程遠い様にも感じます。作業をして居られる方は、諸事情を乗り越えて懸命に作業されていると思いますので、軽々しくは言えませんが、復興のスピードアップを切に願うものであります。

 

 最後に県立高田病院にも行ってきました。まだ診療所のみです。現在造成されている個所に、新たに完全移転されるものと思いますが、まだまだ時間を要する事が容易に想像出来ます。

 いつもこの時期(3月初旬)になると、震災に関する報道が増えてきますが、今年は例年より少なかった様に感じます。来年は節目の年(5年目)なので、一時的に増えると思いますが、再来年以降は年を追う毎に、報道量は減るものと思われます。報道量に関係なく、皆さんの記憶から忘れ去られない事を願っています。

 

文責:仙台顧客サービスセンター  室井健次

(2015年3月8日

 

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