トップページ  / 特別企画 / 東日本大震災から5年が経過して  

東日本大震災から5年が経過して

 

東日本大震災から5年が経過して

 

 

 昨日、陸前高田に1年振りに行ってきました。本レポートを震災後1年に一度社内向けに報告しているためです。しかし、1年振りと言うのは、表向き及び社内向けのもので、実は7カ月振りです。昨年の7月下旬に、高校時代の同級生が来仙した際、現地を案内してきました。その際は、3月に訪問し、5カ月弱しか経っていなかったので、全く変わり映えしませんでした。今回も、それから7カ月しか経っていないので、余り変わっていないのではないかと言う不安と、いやいや変わっているはずだとの期待を織り交ぜながら、現地に向かいました。
 3月2日に行った訳ですが、実は2月下旬にも一度現地に向かっています。その時は、一関から陸前高田に向けた一本道を走り、後10kmを切った地点で、通行止めになってしまい、陸前高田には行けませんでした。交通整理の方に尋ねてみると、『気仙沼を経由しないと陸前高田には行けない』との事だったので、当日は諦め、改めて出直した次第です。
 それで今回は、盛岡から南下しながら陸前高田に向いましたが、この道はほぼ5年振りだったので、途中の道の駅が改装されていたり、テナントで入居している店が変わっていたりと新たな発見がいくつかありました。
 本題に戻ります。一関から続く一本道を陸前高田に向うのが通常のルートですが、今回は大船渡から少し内陸の道を陸前高田に向いました。一関から続いている道の交差点が、毎年本レポートの出発点になっています。そこで一度車を降り、川に突き出ている橋脚を確認してきました。

 

 震災直後と1年後は線路が引きちぎられた状態で、橋脚から突き出ていましたが、現在は線路は撤去され、橋脚のみが川に突き出ている状態です。この風景は、これで4年続けて見るものですが、進展は今のところ見られていません。その一方で、BRT(バス高速輸送システム)も益々整備され、市民の足として定着している様です。昨年の12月に新たな駅ができたとの広告が貼られていました。


 

 そこから川沿いに海に向って行くと、見慣れた街並みが見えてきました。ここは、川に沿って津波が俎上してきた地域で、川の両脇が大きな被害を受けていました。1年目は、まだまだ復旧もされていない感じでしたが、2年目からは徐々に復旧が進み、現在では当時の街並みを取り戻しているのではないでしょうか?実は、この周辺は陸前高田の中心地ではなかったので、何度も通ってはいたのですが、当時の街並みの記憶がありません。震災後、1年毎に通っていく内に、街並みが少しずつ復旧復興している姿を見てきたので、見慣れた雰囲気ではあるのですが、実際は震災後の風景しか記憶にありません。

 この周辺は、市民や復興のための工事を行う職人さんの足場になっている様です。簡易宿舎もありますし、仕事や生活する上で必要な物資を購入する店が、1年毎に増えています。仕事の後の楽しみであろう、スナックや居酒屋もありました。最初はコンビニが2件でしたが、今は新たに2件増え、4件になっていました。その他の店も1~2年目に訪問した時よりも増えています。未だ仮設(プレハブ)も多いのですが、恒久的な建物も確実に増え、現在では逆転しているかもしれません。今年も、震災前からあり私の思い入れの強いローソンで買い物をしてきました。

 

 この周辺は、津波の被害も川沿いに限定されていたので、復旧復興も早く毎年変化もあるのですが、そこから暫く進み高台を超えると、陸前高田の旧市街地になります。震災直後の悲惨な光景は今でも脳裏に焼き付いているので、その高台を抜ける時が一番緊張する瞬間です。

 

 少しずつ、道路の両脇に建物もできており、復興を感じましたが、海に近付くにつれまだまだ復興途上である光景に変わっていきました。建物を建てるためだと思いますが、道路の両脇が計画的に嵩上げされています。しかし、建物そのものは一切ありません。一見すると昨年と変わらないのですが、昨年は土砂運搬用のベルトコンベアー用の陸橋が縦横に張り巡らされていたのが、一部を除き全て撤去されていました。後から別の看板で確認したのですが、土砂の運搬は昨年の9月で終了したとの事でした。一部残っているのは、海岸沿いから高台に向けた橋脚部分です。これは、ベルトコンベアーは取り外しても橋脚部分は、将来の有効活用のために残しているのだと思います。片側一車線は確保できそうな幅広さがありますので、近い将来道路が掛けられるのではないかと思います。

 

 旧市街地を通り抜けると、奇跡の一本松に近付きます。昨年もできていましたが、駐車場があり仮設ではありますが、複数の飲食店が軒を連ねています。商魂逞しいとは思いますが、数少ない観光資源ですので、有効に活用し少しでも多くの観光客が訪れ、復興が加速される事を願うばかりです。因みに、私は昨年に続き、支援自動販売機で、紅茶花伝のロイヤルミルクティを買いました。

 

 駐車場に車を停めて、奇跡の一本松に行きましたが、私にはどうしても気になる事があります。奇跡の一本松の後ろに津波の被害を受けた建物があるのですが、昨年の時点では未だ撤去されておりませんでした。今年こそは撤去されているかと思いながら、奇跡の一本松まで行きましたが、やはり未だ撤去されておりませんでした。何を目的とした建物かは判りませんが、この建物を見ると、津波の悲惨さを思い出さずにはおれません。

 

 駐車場に戻り、海沿いの道を走りましたが、ここでも撤去されていない建物が残っていました。私も何度とのなく昼食で利用した道の駅です。震災が金曜日の午後だったので、昼食で利用しなくても立ち寄っても不思議ではない曜日であり時間帯だったので、ここを訪れる度にぞっとする思いです。その敷地内に、『東日本大震災 追悼施設』がある事を知り、初めて訪ねてきました。調べてみたところ、3年前にできていましたが、昨年迄は何度も通りすぎていても、気が付きませんでした。その中には、千羽鶴や供花が供えられていました。供花には、津波で娘さん(しかもお二人)を亡くされたであろうお母さんから、天国の娘さんへ宛てた手紙が添えられていました。生前の何気ない振る舞いを記している内容でしたが、私は感極まり不覚にも落涙してしまいました。今でも思い出すと、胸が締め付けられる思いです。私も二人の子を持つ親の端くれです。子供達が自分より先に死ぬ等、考えられません。きっと、このお母さんの悲しみも癒える事はないでしょう。

 

 

 もうしばらく海沿いを走ると、これも見慣れたマンション(会社の寮かもしれない)が残っていました。奇跡の一本松の後方の建物、道の駅、このマンションが見渡す限りでは、撤去されていない大きな建物です。優先順位は判りませんし、作業する方々は、日々業務に励まれているものと思いますが、できるだけ早くこの3つの建物が撤去される事を願っております。

 

 更に進み、陸前高田市を外れる辺りに平和の象徴(私が勝手に思っている)、イオンスーパーセンターがありました。中にも入りましたが、活気に溢れています。陸前高田の方々も力強く生活し、復興に向けて日々歩まれているのを強く感じました。

 

文責:仙台顧客サービスセンター  室井健次

(2016年3月3日

 

 

【関連リンク】

東日本大震災から1年が経過して

東日本大震災から2年が経過して

東日本大震災から3年が経過して

東日本大震災から4年が経過して

 

 

 

print 戻る  

関連一覧

Copyright © 2017 アイエムアイ(株). 医療従事者向け情報マガジン イント http://imimed.jp